翻訳と辞書
Words near each other
・ ヴィルヘルム (オルデンブルク公)
・ ヴィルヘルム (オーストリア公)
・ ヴィルヘルム (セーデルマンランド公)
・ ヴィルヘルム (ナッサウ公)
・ ヴィルヘルム (ブラウンシュヴァイク公)
・ ヴィルヘルム (リューネブルク公)
・ ヴィルヘルム1世
・ ヴィルヘルム1世 (ウラッハ公)
・ ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)
・ ヴィルヘルム1世 (バイエルン公)
ヴィルヘルム1世 (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公)
・ ヴィルヘルム1世 (プロイセン王)
・ ヴィルヘルム1世 (ヘッセン選帝侯)
・ ヴィルヘルム1世 (ヘッセン=ローテンブルク方伯)
・ ヴィルヘルム1世 (マイセン辺境伯)
・ ヴィルヘルム1世 (ヴュルテンベルク王)
・ ヴィルヘルム2世
・ ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)
・ ヴィルヘルム2世 (バイエルン公)
・ ヴィルヘルム2世 (ブラウンシュヴァイク=カレンベルク=ゲッティンゲン公)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ヴィルヘルム1世 (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公) : ウィキペディア日本語版
ヴィルヘルム1世 (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公)[う゛ぃるへるむ1せい]
ヴィルヘルム1世ドイツ語:Wilhelm I., 1392年 - 1482年)は、ブラウンシュヴァイク=リューネブルクの1人で、リューネブルク(在位:1416年 - 1428年)、ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル(在位:1428年 - 1432年1473年 - 1482年)、カレンベルク侯(在位:1432年 - 1473年)、ゲッティンゲン侯(在位:1463年 - 1473年)。勝利公(der Siegreiche)と呼ばれた。ヴォルフェンビュッテル侯、リューネブルク侯ハインリヒ1世とその最初の妃ゾフィー・フォン・ポンメルンの長男。
初めはリューネブルク侯領を治めていたが、1428年に伯父のヴォルフェンビュッテル侯ベルンハルト1世と領土を交換、ヴィルヘルム1世はヴォルフェンビュッテルを、ベルンハルト1世はリューネブルクを獲得した。
1432年に遠征に出かけた際、異母弟ハインリヒ2世によってヴォルフェンビュッテル侯の地位を追われた。ヴィルヘルムはヴォルフェンビュッテルの西側の地域(ライネ川の西にあり、ヒルデスイム司教領によってヴォルフェンビュッテルとは隔てられていた)を保持し、この地域はカレンベルク侯領と呼ばれるようになった。1473年にハインリヒ2世が男子のないまま死ぬと、ヴォルフェンビュッテルをも取り戻している。
1423年ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ1世の娘ツェツィーリエと結婚し、2人の息子をもうけた。
*フリードリヒ3世(1424年 - 1495年)
*ヴィルヘルム2世(1425年 - 1503年)





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヴィルヘルム1世 (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.